戦国時代に有名な武将って結構いましたよね?けど歴史の表舞台から消えると…全く出てこなくなります。しかし現代に〇〇の子孫です。といます。実は滅亡していない戦国武将の子孫って結構いるんでさよね。幕府の旗本として。今日はそんなお話♫
こんにちは、三重のカワサキのバイク屋、カワサキプラザ桑名の代表の今西です。
日本史で戦国時代で覇権を狙っていた沢山の戦国大名たち。歴史の教科書となるオモテ舞台では勝った負けたで歴史の1ページが追加されていきます。しかし負けた方の人たちはどうなったのか?なかなかそこまで歴史の教科書には載ってません。多分、日本史の試験にも出ません(笑)しかし実は歴史の表舞台から消えた有名な人の子孫って江戸時代もずっと存在していたんですよね。
江戸時代の旗本と呼ばれる徳川家直属の家臣団。その中に高家と呼ばれる人たちがいました。簡単に言うと、戦国時代に活躍していた戦国大名の子孫、室町時代に守護大名となっていた名家、大名にはなれなかった地方の豪族と呼ばれると有力な人など。
例えば、武田氏、今川氏、大友氏、織田氏などなど…戦国時代に教科書で名前が出てくるようなお家。また赤松氏、畠山氏、土岐氏など室町時代に活躍して名前が教科書に出てくる名家や福島氏や大名としてお取り潰しを受けた家など。実はこのような古くからのお家は「高家」として昔からのしきたりや旧名門として儀礼関係のお仕事をしていたんだって。有名なのが吉良家だと思います。
赤穂浪士の仇討ちで有名な仇討ち相手の吉良家なんがも高家で名門のお家なんですよね。赤穂浪士の仇討ちって、そもそも儀礼式典がある時に吉良上野介に嫌われて、嫌がらせ受けた浅野内匠頭がブチ切れて切りかかった事件。5万石近くあった赤穂藩、浅野家が数千石の旗本高家に頭が上がらないという…どこの時代もよく似たお話ありますよね(笑)
旗本という形で残った名家。徳川としては旧名門名家の力も統治の力として利用したり時には、昔からのしきたりや伝統のチカラを借りていたんでしゃうね。唯一、豊臣家だけ徳川は残さなかったみたい。何故ならやはり豊臣を恐れていたんでしょうね。だから豊臣伝説が今でも語られるんでしょうね。
長い年代ずっと生き残っていくというのは大変だなぁ〜♫10年20年じゃないもんね、何百年単位のお話ですもんね。
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