映画ダンケルクは、連合国側から見た映画。ではドイツ側から見たらどうなのか…歴史とは強者の足跡であり別の角度から見るとまた違う歴史があります。あの時、あの判断がなければ…また違う歴史があったかもしれませんね。
こんにちは、三重のカワサキのバイク屋、カワサキプラザ桑名の代表の今西です。
ダンケルクの映画は、よく知り合いの中でお話が出てきます。映画はすごい作り込まれている映画です。しかし、反対側から見たらどんなら景色なんだろうか…。つまりダンケルクの敵側であったドイツ側から見たもう一つのダンケルク。
まずここで、このフランス侵攻作戦はドイツ側の電撃戦により各個撃破されたフランス軍がダンケルクに追い込まれて全滅を待つという状況が生まれました。
しかしドイツ軍がめちゃくちゃ強かったというわけでもありません。フランス軍もめっちゃ強く、特にフランス陸軍は戦力的には当時ならドイツ軍より強力であったのであります。
では何故いとも簡単に電撃的に敗北したのか?それは二つなら要因があります。いろいろ諸説ありますが大きな要因として
一つ目、当時ドイツとの国境にはマジノ線という防御陣地が存在して鉄壁の守りがあり破られるということを想定していなかった。
二つ目、あまりにも電撃戦が凄すぎて、進撃速度と一点集中攻撃により戦線を突破されてしまった
この二つかな。
マジノ戦には沢山のフランス軍が配備され、第一次世界大戦で甚大な被害を被ったフランスがドイツに攻め込まれないように作った鉄壁な陣地。これを正面から突破じやあするならば、ドイツ側に大きな被害がでる…その被害が出た後にフランス軍の機甲師団(戦車を中心とした部隊)で包囲殲滅するのがフランスの作戦でした。
ドイツはこのマジノ線をある意味無視してベルギー方面から攻めるという奇策で進撃したのであります。
もう一つの要因として、ドイツの電撃戦が凄すぎたという事。電撃戦とは戦車による機動力を利用して一気に攻め込むという方法。第二次世界大戦なら始めの頃はまだ歩兵が中心で、例えば兵隊の部隊が歩きで移動、補給物資は馬で輸送…実はまだまた車やトラックって当たり前じゃなかったんです。
歩兵、歩く兵隊と戦車と装甲車に乗った兵隊…そりゃどちらが移動速度が速く、電撃戦と言われたのがこういう事なんです。
特にこのドイツの電撃戦を指揮したのが、電撃戦を生み出した、戦車の父と言われるドイツの軍人、ハインツ・ヴィルヘルム・グデーリアン上級大将(肩書は最終階級)が指揮する第19装甲軍団であります。装甲軍団とは、戦車師団が3つあった大きな部隊と考えてもらったらいいかな。(誰もわかるまい…)
このグデーリアンが率いる19装甲軍団がダンケルクにフランス軍とイギリス軍の残存部隊を包囲して今まさに殲滅しようとしていたのがあの映画に繋がっていくんです。
では何故、撤退作成が成功したのか?
実はこれいろんな要因があるんです。
✔︎まず装甲軍団の電撃戦があまりにも速すぎて、司令部が把握できなくなって進撃をストップをかけた。つまり司令部の想定より速過ぎたため。
✔︎フランス全域をまだ占領したわけでなく、他の地域で反撃の準備がある…という情報を元に装甲軍団を温存したかった。つまりドイツ側にも予備兵力があまりなかった。
✔︎空軍の司令官が、空軍の空からの攻撃で全滅させて見せる!!と豪語したが、実際にはイギリス空軍の抵抗と砂浜がクッションとなり空から投下した爆弾が思ったより効果が悪かった。
というドイツ側の事情もありダンケルクの奇跡が生まれたというのもあります。
そしてこのドイツの戦略上の失敗がのちに大きな痛手となりノルマンディ上陸作戦へと繋がっていきます。何故ならこのダンケルクから撤退した36万近くの兵隊がまた兵隊としてフランスから上陸するんです。36万人とは単純に歩兵師団なら定員16000人が平均の師団とすると役22個師団、装甲軍団は兵員が違いますが、軍団数でいくと7個軍団が作れる兵隊の数なんですよね。
しかも新しい兵隊を教育する手間がなく、兵隊だった人たち…そしてこのダンケルクの奇跡の成功により、連合国側が戦意という見えない大きな人の力の結集ができたことによりこの先の戦争にも負けてたまるかー!!という人々の意識が変わったのはいうまでもありません。
歴史ってみる角度が違うとまた違った見え方がするもんです。
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